地球人(戦闘力5)の微かな叫び

全宇宙の中の1人による、小さな叫びの場所

あえて、踏みこむ。

おはようございますから、こんばんは。

 

 

 

つい先日、祖母の法事がありました。

出席はしませんでしたが。

 

祖母は、初孫の私に一番良くしてくれて記憶にもすごく残っています。

亡くなったときは、数日間泣き続けていました。

そして最近になって理解した、祖母の行動・価値観があります。

 

「見返りを求めず、人のためにする」

 

自分のことを置いてまで何故だ?

そう思っていた私は、まだまだ青かったのです。

やっと理解できたのかなと。

 

「お金=信用」

 

これにすべて結びついていたのだと思います。

今となっては、これについてどう考えていたのかは聞けませんが。

確実に言えることは、祖母の行動によってこの式が成り立っていたということです。

 

この祖母の教えに基づいて少しづつ行動していきます。

「貯するのではなく、貯する」

 

 

ところで、ここで疑問に思うことがあります。

 

法要の儀式は本当に必要なのか。

 

何を常識の無いことを。何を不謹慎な。等々、批判をたくさん頂くと思いますが。

誰も触れようとしない常識だからこそ、あえて踏み込んでいきたいと思います。

 

故人の為にとの名目で存在する、様々な儀式。

法律も関わってきますので、火葬や埋葬など方法が決まっているものもあります。それに関しては、もちろん守らなければいけません。

 

まず考えなければいけないのは、「誰」のために儀式を行うのか。

故人の為、というのが一番であるかと思います。

次に、故人の周囲の人達の為。

多くの方がこの2つの答えをされるかなと。

 

よく考えてみて下さい。

私の考えでは「故人のことを忘れずに思い出すためのきっかけ」があれば良いと思っています。

写真やビデオメッセージ等は、分かりやすくて良いと思います。

これからはAI(人工知能)等、様々な技術の発達によって、その人の性格が再現できるようになって会話ができるようになるかもしれません。もしかしたら、それ以上にすべてが再現できるかもしれません。

 

現状ではどうも、言い方は悪いですが、弱みにつけこまれて高い金を取られている気がしてならないのです。「お布施」という名で。分単位で凄いお金ですよ。

人々の不安を少しでも和らげるためにあったはずの「宗教」は、長年の時を経て本来の意図から外れてきているように思うのです。

葬儀会社は、値段を抑えたプランを用意しているようですので変わってきているのかなと思います。

 

これから変わりゆく時代だからこそ、慣習の色が強く、人々が避けがちになる「死」の分野に疑問を抱かなければならないと思っています。

その上で議論し、より良い形に変化しなければならないのです。

 

 

ここまで述べてきた意見は、かなりの極論かもしれません。

我が国では、憲法に「信教の自由」が記されていますので、宗教とどのように向き合っても良いのです。

ヘンテコな意見もあっていいと思いましたので、今回書き記しました。

よければあなたの意見もお聞かせ下さい。

 

 

 

では、また会いましょう。