地球人(戦闘力5)の微かな叫び

全宇宙の中の1人による、小さな叫びの場所

東国の下剋上。

おはようございますから、こんばんは。

 

 

 

 

北条氏。

ご存知でしょうか?

 

鎌倉幕府の執権北条氏ではありません。

 

初代・早雲から始まった、戦国時代の後北条氏です。

歴史があまり詳しくない方からすると、良いイメージは無いかもしれません。

豊臣秀吉に従属しなかったがために大軍勢を持って滅ぼされた。

その際に開いた小田原評定では何も決まらなかった。etc...

一般的に広まっているのは、マイナスイメージばかりですが。笑

 

そこで今回、勝手に立ち上がります!笑

好きな後北条氏のイメージを良くするために!

大河ドラマになってもおかしくない程のボリュームのある家なのに、不遇過ぎる。

長くなりそうなので何回かに分けてお送り致します。

 

 

では、初代から参りましょう。

一般的には北条早雲と知られていますが、彼の時代に北条の氏を名乗ったことはありません。伊勢氏の生まれで、室町幕府政所執事(まんどころしつじ)を世襲している家です。彼はその家の支流で備中国(現在の岡山県西部あたり)生まれで、父・伊勢盛定は幕府の申次衆であったということもあって身分も低い方ではありませんでした。時を経て、1467年応仁の乱(めちゃめちゃ複雑で、まだ理解しきれていません。笑)が勃発します。また姉(または妹)の北川殿は、父・盛定が駿河国守護大名である今川義忠(乱のために上洛)と伊勢貞親の間を役目によって取り次いだ縁により、彼の正室となりました。この時点で、後に重要となる今川家との関係ができます。

 

やっとここで伊勢新九郎盛時」北条早雲(これより後は早雲で統一)の登場です。父親の後を継ぐように、申次衆そして奉公衆に任命されます。乱の最中、姉(または妹)の婿である今川義忠が討ち死にしてしまいます。遺児・龍王丸(後の今川氏親今川義元の父)は、従兄弟の小鹿範満との家督争いに巻き込まれてしまいます。これを調停するために、早雲は駿河に下向します。龍王丸が成人するまで、小鹿範満が家督を代行するという形で一応は決着し、早雲は評価されます。しかし成人しても家督を譲る気配が無いために、再度駿河に下向します。この際に挙兵して小鹿範満らを殺し、龍王丸は今川氏親となって正式に今川家当主となります。そしてこの功績により、駿河国内に興国寺城(諸説あり)を与えられます。そしてこの頃に結婚し、後の2代目・氏綱が誕生しています。

関東では山内上杉家扇谷上杉家の対立や伊豆国堀越公方でのクーデター等々、混乱状態(この時代についての私のアタマの中も。笑)にありました。この頃に出家して「早雲庵宗瑞」と名乗っています。後に混乱に乗じて「伊豆討ち入り」し、新興勢力が旧勢力を倒す下剋上によって「東国の戦国時代」の幕を開きます。

そしてさらに勢力を拡大し、韮山城を居城とします。ここで善政を敷いた(四公六民など)ことによって、以前の当主・足利茶々丸の悪政に苦しめられていた領民が従い、伊豆を素早く平定できた大きな要因となりました。その後、隣国・相模に進出しますが、大義名分(茶々丸討伐)を失ったために苦難の道となります。ここで長享の乱山内上杉家・顕定と扇谷上杉家・定正間での争い)が大きく関わってきます。この争いで両上杉家が衰退したことにより、相模そしてさらに関東地方進出に向けて大きなチャンスを得ます。

そして相模平定の最後の壁、相模三浦氏の義同・義意父子が立ちはだかります。鎌倉幕府の時代から続く名族の傍流で、この時は扇谷上杉家に属していました。これを激戦の末に打ち破り、見事相模一国の平定を成し遂げました。そして家督を嫡男・氏綱に譲り、翌年に死去します。

 

ここまで初代・早雲の主な流れを書いてきましたが、戦はもちろんながら伊勢氏(後北条氏)は内政面でも素晴らしい制度を実施しています。検地によって負担を明確にして四公六民の税制によって民の負担を重くならないようにしたり、飢饉に陥った際は減税を行っています。また、早雲の死の前年から虎の印判状(署名)を用いるようになり、違法な中間搾取を無くすような制度も整えられている。

 

初代を語るだけでもこれだけ豊富なのです。NHKよ!是非とも大河ドラマに!

疲れたので、2代目以降は次の更新で。笑

 

 

 

 

では、また会いましょう。