地球人(戦闘力5)の微かな叫び

全宇宙の中の1人による、小さな叫びの場所

東国の王へ。

おはようございますから、こんばんは。

 

 

 

 

さて、引き続き後北条氏のお話を。

前回は2代目・氏綱の素晴らしい功績をお伝えしました。

 

yamato0915.hatenablog.com

 

今回は1番有名であろう、3代目・氏康について。

私も好きな武将ですので、何を書こうかワクワクしています!

 

後北条氏と言えば、内政面が優秀なイメージであります。

領内の検地を徹底して家臣や民の負担(税や軍役等)を明確にしたり、家臣の官僚制度を整えて税の中間搾取を無くしたり、領内の誰もが北条家に訴えを起こせるように目安箱を設置したり、通貨もいち早く永楽銭へ統一したり。

民主主義に似通った政策を取り入れて、当時としては先進的であったのではないかと思います。

他にも様々な施策を行っており「西の山口、東の小田原」と、当時謳われるほどの繁栄した城下町でありました。

後に同地域を支配下に置く徳川家も、いつまでも北条家を慕う領民が多かったために苦労したと言われています。

このように基礎が盤石であったからこそ、領内で一揆や反乱が起きずに安定していました。

 

その一方、軍事面が劣っていたわけではありません。

むしろ優秀な部類に入ります。

あの「甲斐の虎」「越後の龍」とも争っていたわけでありますから。

有名な合戦としては河越夜戦ですかね。

約10倍も多い兵を持った山内上杉・扇谷上杉・古河足利連合軍を夜襲で打ち破るという、これ以上にない武勇伝を残している戦であります。

この合戦については諸説あって、兵数や逸話も本当なのかどうかは分かりません。

北条氏康」「北条綱成

この2人の主従、そして義兄弟。

最強です。

この戦で勝利することによって、関東での覇権争いが「古き」ものから「新しい」ものに変わるきっかけとなっていきました。

また氏康は、生涯36度の合戦で顔に2ヶ所、身体に7ヶ所の傷を負っていたそうです。

そしてその傷は、身体の前面にあったそうです。

敵に背を向けることなく戦った証で、「氏康の向こう傷」と呼ばれて賞賛を受けていたそうです。

少年の頃に、武術訓練の音を聞いただけで気を失っていたことを考えると、何とも物凄い成長でありますね。

 

家臣や民を慈悲の心を持って接し、一度戦に出れば勇猛である。

最強じゃないですか。

この「慈悲の心」というのが大事で、人心掌握に長けていたからこそ北条家は5代100年に渡って繁栄し、実施していた政策なども徳川幕府の基礎となったのでしょう。

また家督継承の際は正室の子供達を重んじることによって派閥争いを未然に防ぎ、それに関連する一揆や内部抗争も起きてはいません。

こうした結束の強い家は、強いのです。(島津家や毛利両川健在時の毛利家などがこれに該当するでしょう。)

 

時代は変わっても人をないがしろにしては、やってはいけないということ。

素晴らしい教訓を、現代の我々に届けてくれる1人であります。

 

書きながら思ったのですが、やはりスゴイです。

好きな戦国武将の1人に変わりはありません。

大河ドラマの主役いけるよ。

 

 

 

 

では、また会いましょう。